質問 19
修行者が一定期間の修行を経て心の安らぎを感じたなら、それを悟りと見なすことができるのでしょうか。
熱心に、そして粘り強く瞑想を修め、しだいに安らかで揺るぎない心を育ててゆく人々がいる。内なる波立ちが静まるにつれ、彼らは深い充足を覚え、崇高な瞑想の宮殿に入り、自らの本性を悟り、さらには覚りに至ったとさえ信じる。数えきれぬ生涯にわたり、彼らは解脱を求めて輪廻の広大な森をあてもなくさまよってきたのである。
いま初めて、彼らは城壁にもたれている自分に気づく。心がもはや迷妄の嵐や苦難に打ちのめされることがなくなり、ついに故郷へ帰り着いたかのような、圧倒的な喜びと満足を感じる。そのような人々は深遠な洞察を語り、大いなる宣言さえして、自分は究極の目的に到達したのだと確信することもある。
しかし実のところ、彼らは外壁のそばで休んでいるにすぎず、宮殿へ入るための門を探さなければならないことに気づいていない。宮殿の門を見いださないかぎり、どれほど多くの生涯を経ても門外に留まり、瞑想の深奥へ真に入ることはないのである。
瞑想仏教問答瞑想心の安らぎ悟り禅定仏教入門正法禅那宗僧院
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